ミニマリストを目指していたら鬱っぽくなった

コラム

皆さんはミニマリストと聞いてどのような印象を持ちますか?

巷ではワンルームの一室にモノが極限まで少ない状態で、瞑想をしているようなイメージを持つ人がいるかもしれません。

私も最初はそんなイメージでしたが、多くのミニマリストの方々の書籍を読んでから少し印象が変わりました・佐々木典士さんの「僕たちにもうモノは必要ない」やジョシュアベッカーさんの「より少ない生き方」は自分にとって必要なものを残すことは書かれていました。

元々私の持っているものは少ない方でしたが、ミニマリストの方の考え方に感銘を受けて、徐々に減らしていき、テレビも捨て、テーブルも捨て、思い出の品々もたくさん捨てました(写真には残しています)。粗大ごみもかなりの数になりました。やはり捨てる事は快感でした。1個捨てたらさらに捨てたくなります。その頃の僕は捨てる中毒になっていたと思います。

前置きは長くなりましたが、僕が鬱っぽくなった理由を考えると「捨てる事が目的となっていた」ということかと思います。捨てることで効率化された時間。無駄のない生活。ミニマルになった生活の中で、自分の葛藤はどんどんマキシムになっていきました。

ミニマルな生活はお金はたまりますが、代り映えしない1日。同じものを食べ、同じ生活をし、同じことを考えながら寝る。そんなルーティンの毎日になってきました。そんな時はアフリカの恵まれない子供たちの動画をYouTubeで見たり、派遣切りにあった方の年越し動画を見て、自分がどれだけ恵まれているのかを感じていました。次第に友達との飲み会も少なくなり、家にいた方がお金が貯まるからという理由で外に出なくなり、本格的に精神が崩れていっていたと思います。

また、仕事でも先輩に怒られる日々。自分自身でも情けなくて、毎日が苦しい状況でした。「そんな中で人生が好転して・・・」のような美談には正直なっていません。今でも僕は仕事ができないポンコツ社員として怒られています。いつになったら自分のスキルは上がるのか・・・。

そんなこともあり、僕は周りの人たちに病院に行くことを勧められました。人間関係や自分のライフスタイルの色の無さ・・。「普通の生活を送れているなら贅沢言うなよ!」というお声があるかもしれませんが、捉え方や考え方は十人十色だと思います。

結局僕は病院に行くのをやめ、自力で自分の人生を変えることはできないかと模索しています。食事・健康・睡眠。様々な面から自分を変えていき、少しづつでも前に進んでいる実感を得たいという思いです。

とりあえずは筋トレして、日光を浴びて、散歩してのようなことから始めています。鬱っぽさがなくなったと言ったら嘘になりますが、明らかに1日を家の中で過ごすよりか調子が良いと思います。ミニマリストではなく、シンプリストとして。皆さんのお役に立てればと思っています。

次回またお会いしましょう。

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